こんにちは。イグルスキー米山です。
きょうは遭難死の話です。
函館にいたころ
16年ほどまえ、函館で4年間過ごしたとき、北大水産ワンゲルの若手OBとよく山に登り、イグルー技術も伝えました。北海道南部は札幌から遠く、以前私も8年過ごした札幌からは、なかなか来られなかった道南の渋い山の数々を雪の季節に登りました。地形図から最適な尾根を選んで、イグルーで海の見えるところに泊まり、誰もいない山頂を目指しました。転勤で予期せぬ町に住み思わぬ山と出会う、私の生涯の宝の山々です。
Aさんの遭難死
そんなころ知り合ったAさんは、学生時代は運動部で体は頑丈、仕事を始めてから山が好きになった若者でした。何度か山行を重ねて経験を積んで、あるときメップ岳に登り遭難死してしまいました。ほんの20mほどその時だけコチコチに凍っていた稜線から落ちたのですが、運悪くダケカンバの立ち木に当たって死んでしまいました。同行者のBさんは、Aさんの死を確かめたあと稜線に戻りそこにイグルーを作って悪天をやり過ごし、翌朝ヘリに救助されました。
イグルーで生き延びたBさん
後日、何人かで二人の遺留品を回収に行きました。そこでBさんが一晩過ごしたイグルーを見つけました。大きなブロックを並べて作る、一人用の、狭くて低い緊急イグルーです。多分30分以内で作れるはず。彼はその夜このイグルーの中でどんなことを考えただろうか。斜面は凍っていたが、晩にはミゾレが降ったという。
山登りを続けていれば、楽しい事ばかりじゃない。親しい人の死にもしばしば出会います。しかしそれはことさら山だけの話ではなく、人生そのものと同じであると私は考えます。
仲間が事故死、あるいは怪我という大事件のとき、残った者はどうするか。山での判断の多くは、一刻を問うほどには迫らない。時間をかけ、心を落ち着ける必要がある。慌てないこと、考えるのをやめないことが一番肝腎だ。
起こってしまったことを受け入れ、余裕を持ってそこから自分の考えを整理すること。ひどい天候の中でも、まずそれができる場を作ること。私は、Bさんがこの非常事態に、憶えたばかりのイグルーを使ってくれて、本当に良かったと思いました。
死者を弔う、思い出すこと。
Aさんは口数少ないけれど心が伝わる好青年で、山にはいつもイカの沖漬けやイカ飯を作って持ってきてくれました。ザックにはやっぱりイカの開きが入っていました。調査船の船乗りだったので、函館港停泊のAさんの夜勤番の夜、Bさん含めて何人か遊びに行って、船で鍋をつついたこともありました。吹雪の赤い街灯の波止場を、路面電車も終わった時間に、ほろ酔いで家まで防寒ゴム長で歩いて帰った夜が懐かしいです。
山で別れた死者のことは、何度でも思い出しましょう。人の生は死んでしまったってそれっきりじゃない。
きょうはここまで。またね。
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