どこでも泊まれるってことは

イグルーと本
雪の遺書 日高に逝ける北大生の記録 沢田義一 1966大和書房

イグルーは積雪が30cmあればどこでも泊まれます。

これが、雪洞と違うところです。雪洞は積雪2m、しかも稜線の雪庇の脇のような、急な、風下吹き溜まり場所に限られます。でもイグルーは、新雪では駄目だけど、ある程度締まった30cmがあれば、人里でも作れます。雪さえあればどこでも泊まれるということです。絶壁の上でも、平らなところでも。針葉樹林帯でも、山頂でも。吹きさらしでも、吹き溜まりでも。テントだとストレスになるあらゆるところで安眠できます。とても自由です。

どこでも泊まれるということは、泊まっては駄目なところを知っているということ。

どこでも眠れる、何でも食べられる、誰とでも仲良くなれるという人の本当の意味は、本当に泊まったらやばいところ、食べたら本当にやばいもの、付き合ったら本当にやばい人を知っている、直感で、知識で判断できるということです。

寝ていたら殺されるような場所を避け、食べたら体調を崩すものを避け、関わったらやばい人を見分ける、これが何でもできる人です。海外旅行で、山で、これは実感できると思います。その感覚を磨くことこそ、山登りの醍醐味です。

イグルーも、作ってはいけない場所があります。それは、雪崩の通り道です。

イグルーはどんな暴風雪にも耐えられますが、雪崩だけは助かりません。これだけは避けましょう。どんなところを雪崩が通るかは、たくさん雪山に通って学んでください。とても大切なことです。

北大の山岳部には、1965(昭和40)年3月に札内川の雪崩遭難といって、6人が就寝中の雪洞の中で大雪崩に遭って亡くなる死亡遭難事故がありました。リーダーの沢田義一さんは、その後数日生存して、ポケットの中にあった地図の裏に、家族や、部員や、メンバーの家族にあてた遺書を書き残していました。

破格の規模の雪崩とはいえ、沢の中で泊まったことが失敗の原因でした。いつまでも憶えていてほしい遭難事故です。

沢田義一さんが雪の中で書いた地図の裏の手紙

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