同志社大学講堂でイグルー講演10/16

イグルー講習会や講演など
新島襄の暮らした新島邸。この隣の講堂でした。これまでで最高の講演会場です。

こんにちは、イグルスキーです。

少し前の話ですみません。10月16日、京都御所の隣、同志社大学の新島講堂で、「野生の山へ」と題して、北大山岳部のイグルー登山について講演を行いました。日本山岳会京都・滋賀支部の主催でした。この春「岐阜百秀山」を出版した清水克宏氏との講演共同です。こちらも知られざる山域・奥美濃(揖斐川源流域)など、野生の山の紹介です。

「高い山より深い山へ」

北海道は北にあるため、低くても植生的に「高山」になる。だから広範囲が「高山」になる。広範囲だからその水平距離が伸びるので里からの距離が遠く「深く」なる。すると、山行に時間が必要になるので荷物を軽く、現地で得られるものを利用するフリー登山の発想になる。

「3つのフリー」

私が好んでいる登山方法は、テントフリー、登山靴フリー、ストーブフリーの3つです。

▼テントフリーはイグルーです。この手ブラの満足感、天然との一体感と言ったら。

▼登山靴フリーは地下足袋です。雪の上だけは厳しいですが、無雪季は沢でも登山道でも全部タビです。登山靴は雪山、氷の山で使うものです。この軽さと地面を踏みしめる快感、天然との一体感と言ったら。

▼ストーブフリーは、焚き火です。冬季は一応緊急用ストーブを持ちますが、無雪季は完全火起こしです。もちろん登山道には出てきません。この心身に及ぼすエネルギー、自活の満足、天然との一体感。

京都・滋賀支部など、50人余りが聞きに来てくれました。

登山とは、フリーを考えること

フリーとは「〜無しで」です。山登りは文明の利器を使うほど、町と変わらなくなってしまうので、何やっているのかわからなくなりますよね。極端なのはヘリコプターやロープウェイで登ってしまう登山です。過程は問わず、突然結果。最短結論。

高所障害のある4000mを超える山では「酸素フリー」が、岩登りでは「エイドフリー」が大きな意味を持ちます。「GPSフリー」や、「衛星携帯フリー」それに「自動車フリー」はどうでしょう?

GPSフリーで極夜のグリンランドを歩いた角幡唯介氏が書いていましたが、極地単独徒歩などの冒険記録で、体力的な新記録は問われるけれど、通信手段やGPSのフリーはあまり挑む人が居ません。日本の山でも軽装でワンデイですごい長距離長時間山行をする人も居ますが、「通信手段手ブラ度」はどうでしょうか。メンタル面、文明との隔絶感では、かなり違うと思います。

「自動車フリー」は、日本の登山では大きく変わります。だって、名山ほど、自動車道路がついちゃっていて、往年の山麓からの道は誰も歩かず、富士山や御嶽山などは昭和40年以前の山小屋は廃墟と化していて、シブい登りができるのです。山麓最寄り駅からトコトコ歩けば、野良仕事の農夫や、石垣の古民家の佇まいを眺めながら入山できます。

携帯電話やGPSや自動車は、週末の限られた時間しか登山できない条件で、自分の能力を越えたパフォーマンスを発揮する便利な道具です。これらをフリーにするには時間に余裕が必要でしょう。しかし、便利なものに頼っていると、「それまで誰にでも練習すればできていたことが、練習しなくなるのでできなくなる」ということを忘れないようにしたいものです。「モノ」を得て、「コト」を失うのです。

イグルーも焚き火も地下足袋歩きも、それに地図読みも、慣れれば誰でもできます。

*  *  *

イグルーオフシーズンでもあり、引っ越しなどもあり、夏の間お休みしておりましたが、また連載を始めたいと思います。高山に白い雪が見えるようになりましたね。この冬もよろしくお願いいたします。

参加の同志社山岳部OBの宇野さんが、講演リポートを書いてくれていました。

「野生の山へ〜北海道の山・奥美濃の山」講演会レポート
日本山岳会京都・滋賀支部主催、同志社山岳部共催、日本山岳会東海支部協力の下、10月16日京都で

お宿は古い町屋を改装した坪庭付きの二階建て民宿でした。京都満喫です。

 

 

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