こんにちは、イグルスキー米山です。
●イグルー山行でのピンチ
これまでイグルーは無敵だ、と思ってきましたが、この冬、日高の主稜線でイグルー泊していて、強風で壁が削られ、夜中に穴が開き、緊急事態になったケースがありました。大切な話なので、この場で共有したいです。
事例を教えてくれたのは、北大山岳部の若手OBイノウエさんで、すでに30泊以上のイグルー泊経験があります。日高山脈全山単独縦走予定で、年末に日勝峠から入山し、行動13日停滞6日、今山行では6個のイグルーを作っています。ヤオロマップの山頂付近の5個目のイグルーで事故が起きました。日が暮れてから南風の強風にかわり、サッシビチャリ沢側に作った入り口側のブロックと壁から穴が開き始め、何度か内部からブロックを切って補強しても削られ続けてしまいました。
●当日の詳しい状況
1/11
18:00くらいから入り口周辺が削られ始めて穴塞ぎ、仮眠を続けた。気がつくと穴が開いていて塞ぐのを繰り返す。荷物をまとめておく。
23:30頃、目を覚ますと縦横50㎝以上の穴が雪壁部分に開いていて、みるみる大きくなっていく。雪ブロックを詰めようとするが埒が明かず、ブロックで積んである屋根部分も削られていくので緊急脱出を決めた。荷物はほぼまとめてあったが暴風雪の中、靴を履き、寝具をザックに詰めるなどの際、多少の紛失あり。
1/12
00:40頃 プラ靴を履いてフライにくるまって落ち着いた。山行中止を決める。
03:00頃 サッシビチャリ側の風が弱くなり風向きがナナシ側に変わる。明るくなるまで待つ
05:00頃 まだ暗いがイグルーを作り直す。吹雪で視界がなく2~3m先が見えないこともあった。シビアなイグルー製作となる。
07:00頃 イグルーが完成し、ひとまず状況が落ち着いた。その後寝袋とシュラフカバーも強風で紛失していることに気づく。
1/12~14日まで作り直したイグルーでビバークして好天を待ち、15日にコイカクの下降尾根まで戻って下山。
●状況の補足
・削られた時の風はザラメ雪を含み、雪の礫で風向きに対して目を開けられないほどの強さだった。
・その後12日に作り直したイグルーは尾根方向に入り口を作り15日まで十分耐えたが、やはりハイマツが近くサッシビチャリ側は(壁の薄さのため)若干青みがかる箇所があった。
・1/10に泊まって後にしてきたコイカクシュサツナイ岳山頂のイグルーは、4日ぶりに戻ると跡形もなく消え去っていた。このイグルーも固い良いブロックで積み、入り口も風向きとは逆側だった。
・コイカク、ヤオロマップは日高で特に風が強い場所の上、今年の稜線はクラスト状態がひどかった。
●イグルー性能の見直し再認識を
低気圧接近時に日高の主稜線のイグルーで迎え撃つことが100パーセントできるわけではないことを憶えておきたいです。
これまでのイグルスキーの認識では、強風でイグルーが削られるようなところには、そもそも雪が少なくて地面が出ているところが多くイグルーが作れないと考えていました。
でも今回のように風向きが変わる可能性のあるところ、例えばヤオロマップの先の稜線は東西を向いていて、この西側1839峰のアタックでは、雪庇が両側に出ることが知られています。ということは、ここは雪がいつもあるところといつも無いところが決まっていない稜線なのかもしれません。
イノウエさんの印象でも、壊されたイグルーを作る前と後では、サッシビチャリ側にあった積雪の印象がずいぶん違い、全体に削り取られた感じを受けたということです。
イグルスキーがザラメの強風つぶてで壁が削られる不安を感じたのは富士山です。イグルーは強風のパンチで壊れるのでなく、削られてサラサラと穴が開き、広がって行くイメージです。
ただし今回の条件では、雪洞でも同じように削られるし、テントならば始めからもっと大変だったでしょう。イグルーでも、危機を察知して、対処するまでの時間が勝負です。
イノウエさんは危機的なピンチを、豊富な経験で落ち着いてうまく対処したと思います。野心的な日高全山縦走は、今回はならず残念でしたが、この難局を乗り切った経験は宝となるのではないでしょうか。やはり厳冬期の日高全山は手強いです。
でもね、さすが厳冬期日高。さすがイグルーって思いました。
イグルーを作れるような登山愛好家は、イグルーが壊れたってなんとかすることができます。
日高はそう簡単には貫徹させてくれないないけれど、イグルーが壊れたぐらいで死なないしぶとさ。これが最も尊いのでは無いかと思います。
きょうはここまで、またね。
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