こんにちは、イグルスキーです。
山と渓谷12月号に載せてもらいました。
「雪まみれの先輩たち」という企画の一角で、イグルーを使ったテントフリー登山について。山と渓谷の12月号では二年前にもイグルーの特集記事を載せていただきました。やっぱり雪はまだ降ってないけど雪山妄想が膨らむこの季節の定番企画になると、嬉しいところです。記事は6pにわたり、他にプロスノーボーダーの田中幸さん、北大WVOBの野村良太さんとの三人の一問一答形式の構成です。イグルー、バックカントリースノーボード、全山縦走の話です。
ピンチな経験
ピンチな経験はありますか?という質問に、私自身は死にかけたことは無いな、と思って「ほとんどありません」と答えはしたのですが、後からよく考えてみると、自身のピンチはなくても同行者の死にかけ経験は何度もありました。
ナムチャバルワでは目の前で仲間が雪崩で亡くなりましたし、富士山では仲間が500mも滑落したのに骨折で済みました。学生時代に上ホロカメットクのD尾根で、ホワイトアウトのナイフリッジでメンバーが転落したけど数メートル下の段差で止まったこともありました。ウエンシリの巨大スラブではノーザイルで延々微妙なクライミングをして、メンバーが転落したこともあった。
自身のピンチだけでなく、パーティーのピンチだったことを、深く自分のこととして反省点として認識できていなかったんだな、と、印刷物になって来たのを読んで、あらためて知りました。隠したかったわけではないのに出なかったのは、自分の中で自分の過失として受け止められていなかったのかもしれません。
山ではなかったピンチ
自分自身の過失として生涯最大レベルで一番後悔しているのは、山の中の技術的なミスではありませんでした。知床での長期山行で、最終下山日を一日だけ延期して変更したことを、下山連絡先に伝えただけで家族に伝え忘れたばっかりに捜索願を出されて、マスコミ沙汰の大騒ぎになってしまったことがありました。このとき、全国で遭難騒ぎが相次いでニュースになっていたせいもあり、家族が、警察が、マスコミが、過剰に心配してしまったのです。
山の遭難に加えて、一番怖いのは世間の仕打ちです。おそらく人生を変えるほど強い影響の事件でしたが、家族の気持ちを甘く見ていた自分のせいだと思っています。
とても省スペースでは説明できないので、記事では省きました。
きょうはここまで。またね。
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